訳分からないのが、カッコイイ。
と勘違いしたアニメは「新世紀エヴァンゲリオン」以降1990年代後半から2000年代前半に一杯あった気がします。
謎を作って視聴者の気を引き続ける。
そして広げた風呂敷畳めない。
あれにもこれにもそれにも意味があるに違いない。
視聴者は何度もアニメを見なおしたり、個人の考察や謎本に食らいつく。
疑問を与えれば与えるほど喜ぶ。
実は意味なんて無いのに勘違い。
正直この手法は使い尽くされています。
そうとしか言い様のないラストでしたね。
皆で勘違い。
ピングドラムを手に入れるのだ=荻野目苹果の日記を奪え!
こうして三つ巴の闘いを繰り広げた意味は何だったのか。
結局ピングドラムというのは冠葉が晶馬に与えたリンゴが何故かエネルギーになったというよく分からないもの。
冠葉は陽鞠にも生命力を分け与えたため干上がりそうな所をこちらを返して助かった。
・・・と思ったらやっぱり助からない。
結局陽鞠を助けるために使ってしまったからか。
そして林檎の日記はいわばサポート呪文。
運命を乗り換える事で命のやりとりをした後に押す「決定」ボタンだったのか。
呪文を使ってその反動による苹果の苦しみは晶馬が引き受ける。
こうして陽鞠と苹果は助かって、晶馬と冠葉は消滅してしまった。
超人パワーを分け与えるんだ!
胸に手を突っ込むとボールが出てきて生命力をやり取りできる。
ピングドラムの受け渡しは何かキン肉マン見てるみたいでした。
最初から晶馬が胸に手を突っ込んでこれを陽鞠にやっとけば済んだのでは、という気がしてなりません。
プリンセス・オブ・クリスタル(帽子陽鞠)のガセネタでえらい遠回りさせられて、犠牲も大きくなった気がしましたね。
結構面白かったけど。
設定に深い意味は無くてフィーリングで見るアニメだったかなと思いました。
雰囲気が合えばよし、合わなければ見ない。
理解できるとか出来ないとか、頭の良し悪しは一切関係有りません。
好きな色を聞くようなもので正解というものは無いでしょう。
納得が行かないのは転生したとは言え晶馬が消えちゃったこと。
記憶が無いとはいえ、陽鞠も苹果も宙ぶらりん。
僕の罪僕の罪って自己嫌悪を良くしてましたが、
・消えるほどの罪人には思えない。
・世界を救って犠牲になる桃香のような使命感がある人とも思えない。
二人助けるから二人死ななきゃならない、出来れば生き残るのは若い女性がいい。
そんな理由で弾かれた気がしないでもない。
一方で多蕗とゆりが生き残り、本当の愛に目覚めたところは良かったです。
二人には心底幸せになって欲しいと思いました。
>実は意味なんて無い
多分全てに意味があります。
最後の二話だけでもわかるのなら全部そんな感じでしょう。
この話の意味は多分ピングドラムを手に入れてしまった人にしかわからないと思います。
もうどこにも行けない、もう終わってしまった、人としての伸びしろのない、人としての臨界を超えてしまったものにしかわかりません。
こいさんにもいつかは分かることだと思います。
ピングドラムを手に入れた時。
自分の前で別の列車に乗り換えていく人間を見た時。
その未来へとつながる列車を見送るしかできないことを知った時に。
そして、それを知るものにとっては「何をいまさら」な話。
でも、まだ運命の列車に乗っているものにとっては「何をいってるの」な話。
それがこの作品だと思います。
この作品の価値は、いずれわかると思います。
次の運命の列車に乗れない。
その時にこの作品を思い出せたのなら。
こういう意味だったのかという気づきとそしてなぜ忘れていたんだろうという後悔と共に。
多分そういう作品です
遂に終わってしまった。
何故、冠葉と晶馬は箱詰めされているのか分からない。
陽毬曰く「ねえ、生きるってことは罰なんだね。~靴を揃えろとか、夕飯の時は家族一緒」だとかが罰だって?
そんなことが罰だなんて…
最大の疑問は晶馬が言っていた「これは僕達の罰だから」
一体、「罰」とは何のこと?
最期はタブキと時籠ゆりとマリオが登場しこれまた意味不明な会話をしている。
今回のクライマックス・シーンは林檎が運命の乗り換えを実行するシーン。
ただ「運命の果実を一緒に食べよう」と唱えるだけで運命を変えられるという単純なもの。
日記を巡って“三つ巴の闘いを繰り広げた意味は何だったのか”?
ただ良かったのは傷だらけのぬいぐるみからメッセージの紙が現れ陽毬が「あれ? 変だな? なぜ私泣いているの?」というシーン。ここは本当に良かった。
そしてラストシーンを流れる感涙的な美しいBGM。
とまあ、以上が今回の率直な感想です。
正直これまで放送を省みて多くの不満があります。
・マリオって一体何だったの?
・時籠ゆりの体の秘密が分からない。
・子供ブロイラーの説明は?
・第4話で阿佐美がエスカレーターで突き落とされた時、日記が映しだされ、そして「午後9時、赤坂見附駅、エスカレーター、赤い靴の女の子。今日はこれでお終い、ディスティニー」と話しかけ判を押す。
てっきりリンゴには裏の顔があると思っていたのに説明なし。
・第17話で「このままピンクドラムを放置すればお前たち家族の誰かが罰を受けるだろう」って言っていたのに今回の説明では
『りんご=ピングドラム=自己犠牲と救済による報酬』
ってことになっていますね。
結局、この作品は徹底した抽象的表現を多用しており自由勝手に解釈してくれってことみたい。
プリンセスの正体も何やら桃果なんだか、陽毬の分身なんだか、人智を超越した超意識体なのか、自由勝手に解釈しろでしょう。
残念です。
すっごーく期待していたのに。
結局エヴァや20世紀少年で成功した“謎を作って視聴者の気を引き続ける。”
“疑問を与えれば与えるほど喜ぶ”なのかもしれませんね。
誰かが言ってたんですが、この作品は
「愛の話なんだよ。どうしてわからないかな〜」
……の一言で要約できるらしいです。最初の少年たちの会話が本質そのものだったというのが、まあ、演出に沿った解釈じゃないかと思います。ショウマとカンバも言ってたしね
ワロタ。
いろいろ感想を見て回ったのですが
このブログ様の感想が一番得心が行きました。
核心を突きすぎです。
おそらく100%正しいです。
しかしそれは言わぬが仏ですw
理解出来た人はみんな作品にはまって好きになるはずで、好きじゃなかったり特に高い評価をしない人は理解出来てないからだ……
この手の作品というか、抽象的な演出を過剰連発する手法の作品はそういうファンが多く、エヴァの頃からちょっとしんどい
理解出来ても好きになるかどうかは全く別の話だし、よく分からなくても好きな人だっているわけで
自分はこの手の演出は特に優れてるとも思わないし古臭いとも感じてるけど、この作品自体はまあまあ好きだった
基本的な事として、ピンドラ世界の日本はどういう状態なのかってのが知りたかったですね。
独裁統制国家なら反政府活動も止むなしと思えるのですが。
週刊連載のコツとして「オチはどうでもいいが、毎週山場を作る」
とどっかの漫画家が言ってたと思います。
ある意味これを忠実に実行したアニメだったんじゃないかと思いました。
愛の話というのは分かるんですが、それ以外に分からないことが多すぎました。
あと「君のためなら死ねる」って概念は現代に合わないかなーって思いました。
残された方は気持ちの整理が付かないですからね。
幸いと言うか記憶は無くなってましたが。
週刊少年ジャンプのバトル漫画が毎週山場なのと同じです。
でも引きこむだけの力はあったということですね。
アニメの大筋というのは見てるだけで大多数の人が分かるように作るのが普通だと思います。
余談とか裏話があるのは良いですが、ほぼ全てが謎だらけというのはどうかと。
アニメで哲学とか頭脳勝負したがる人はあまり多くないと思いますんで。
第4話で阿佐美がエスカレーターで突き落とされた時.......
てっきりリンゴには裏の顔があると思っていたのに説明なし。
ということですが、あの時、赤坂見附で阿佐美を突き落としたのは
リンゴではなく真砂子なので、リンゴには一時期ストーカーだったと
いう事以外に裏の顔はないと思います
ああ良かった、この作品を批評しているブログ様が他にもいてw
「分からない」というのも、立派な感想の一つですよね。
個人的には、前半の晶馬くんと苹果ちゃんのラブコメ展開をずっと続けて欲しかったです。あそこらへんは純粋に楽しめたんですけどね…。
結論:訳わからない。
だと「見てないのに感想書いてるんじゃなかろうか」
そう思われそうで心配でした。